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熊本地裁厚生省と国会の責任を明確に認める
平成一〇年・第七六四号、同第一〇〇〇号、同第一二八二号、
平成一一年・第三八三号「らい予防法」違憲国家賠償請求事件
判決要旨
第一 本件の主要な争点
一 厚生大臣のハンセン病政策遂行上の違法及び故意・過失の有無
二 国会議員の立法行為の国家賠償法上の違法及び故意・過失の有無
三 損害
四 除斥期間
第二 当裁判所の判断
一 厚生大臣のハンセン病政策遂行上の違法及び故意・過失の有無について(争点一)
1) 厚生省の隔離政策の遂行等について
厚生省は、昭和六年に制定された癩予防法下の昭和二五年には、八三二五人の患者(収容率約七五パーセント)を収容隔離していたが、昭和二八年のらい予防法(以下「新法」という。)制定後も、これらの患者の隔離を続け、さらに、新患者の収容隔離も続行し、昭和三〇年には最多の一万一〇五七人(収容率約九一パーセント)のハンセン病患者を隔離し、その後も、九〇パーセント前後の収容率でハンセン病患者を、全国の療養所に隔離してきたものである。
ところで、新法六条一項は、勧奨による入所を定めるが、これは同条二項の入所命令、同条三項の直接強制を前提とするものであり、法的にも任意の入所とは同視し難い面がある。のみならず、新法廃止まで、抗ハンセン病薬が保険診療で正規に使用できる医薬品に含まれていなかったことなどにより、ハンセン病の治療が受けられる療養所以外の医療機関が極めて限られており、特に、入院治療が可能であったのは、京都大学だけという医療体制の下で、入院治療を必要とする患者は、事実上療養所に入所せざるを得ず、また、療養所にとどまらざるを得ない状況に置かれていた。さらに、戦前・戦後にまたがるほぼ全患者を対象とする収容の徹底・強化により、多くの国民は、ハンセン病が強烈な伝染病であるとの誤った認識に基づく過度の恐怖心を持つようになり、その結果、ハンセン病に対する社会的な差別・偏見が増強され、プロミン登場によりハンセン病が治し得る病気となった後も、新法がハンセン病に対する隔離政策を継続したことによって、ハンセン病に対する差別・偏見が助長・維持され、新法廃止まで根強い差別・偏見が厳然として存在し続けたものであるところ、その中で、ハンセン病患者は、いったんハンセン病であるとの診断を受けると、保健所職員の度重なる勧奨入所により、隣近所の者からハンセン病患者及びその家族が白眼視されるに至るなど、療養所に入所せざるを得ない状況に追い込まれ入所を余儀なくされていったことが認められる。したがって、少なくとも、原告らのうちで最も入所時期の遅い者が入所した昭和四八年ころまでの状況を見る限り、勧奨による入所という形をとっていても、その実態は、患者の任意による入所とは認め難いものであった。
また、入所者の退所についても、極めて厳格な運用がされており、最も軽快退所者の多かった昭和三五年でも、その年の軽快退所者数の入所者数に対する割合は二パーセントに過ぎず、昭和二六年から平成九年までの各年の退所者の右割合も一パーセント未満の年がほとんどという状況であった。昭和三一年に厚生省が各療養所長に示した唯一の退所基準である「らい患者の退所決定暫定準則」も、その内容は極めて厳格で、しかも入所者にはその当時は周知されておらず、昭和五〇年代以降も、退所の自由について公式に表明されたこともなかった。
また、新法一五条は、入所患者の外出を厳しく制限し、これに違反すると同法二八条で罰則を課することになっていたが、昭和三〇年代までは外出制限について厳格な取扱いもされていた。昭和五〇年代以降は、相当緩やかな運用がされるようになったが、厚生省や療養所が外出制限を事実上撤廃するなどということを公式に表明したこともなかった。
また、優生保護法のらい条項の下で、昭和三〇年代まで優生手術を受けることを夫婦舎への入居の条件とするという非人道的取扱いをしていた療養所があり、入所者が療養所内で結婚するためには優生手術に同意をせざるを得ない状況もあった。
昭和五〇年前後からは、療養所内の処遇改善が行われ、外出制限も緩やかに運用されるようになり、退所についても、入所者が積極的に希望する限り、あえてこれを制限しない運用にはなった。しかしながら、そのころには、大部分の入所者が、療養所での生活が長期間となり高齢となり、また、療養所外の社会におけるハンセン病に対する偏見・差別が依然として残り、退所して社会復帰をすることを希望する入所者も漸次減少していた。そのような状況において、厚生省は、平成八年四月まで、ハンセン病患者の人権を著しく侵害する内容を有し、ハンセン病に対する差別・偏見を助長、維持するという弊害をもたらし続けたところの新法の下での隔離政策を廃止しなかったものである。
2) 隔離の必要性について
患者の隔離は、患者に対し、継続的で極めて重大な人権の制限を強いるものであるから、すべての個人に対し侵すことのできない永久の権利として基本的人権を保障し、これを公共の福祉に反しない限り国政の上で最大限に尊重することを要求する現憲法の下において、その実施をするに当たっては、最大限の慎重さをもって臨むべきであり、少なくとも、ハンセン病予防という公衆衛生上の見地からの必要性(以下「隔離の必要性」という。)を認め得る限度で許されるべきものである。そして、隔離の必要性の判断は、その時々の最新の医学的知見に基づき、隔離のもたらす人権の制限の重大性に配意して、十分に慎重になされるべきである。
そこで、隔離の必要性について検討するに、
- もともと、ハンセン病は、感染し発病に至るおそれが極めて低い病気であって、このことは、新法制定よりはるか以前から政府やハンセン病医学の専門家において十分に認識されていたところであること、
- 我が国のハンセン病の患者数は、明治三三年から昭和二五年までの五〇年間に半減あるいはそれ以下に減少し、それとともに、有病率もその間に一万人当たり六・九二人から一・三三人と約五分の一に低下し、新法制定当時のハンセン病の蔓延状況は、もはや深刻なものではなくなっていたこと、また、その後も、ハンセン病患者の発生は、自然に減少していくと見込まれていたこと、
- ハンセン病は、慢性の経過をたどって進行するが、もともと、それ自体としては致死的な病気ではない上、すべての症例が重症化するわけではなく、自然治癒するものもあったこと、
- 新法制定当時、既にプロミンがハンセン病に著効を示すことが国内外で明らかとなっており、特に、重症化しやすい結節らいの患者の病状を著しく軽快させることができる状況になっていたこと、また、昭和二四年以降、プロミンが我が国の療養所で広く普及するようになり、かつてのようなハンセン病が不治の悲惨な病気であるとの観念はもはや妥当しなくなっていたこと、さらに、昭和二三年ころからは、プロミンと同じスルフォン剤であり経口投与可能なDDSが、少量でプロミンに劣らぬ治療効果を持っていることが明らかになり、新法制定の前年の昭和二七年のWHO第一回らい専門委員会では、在宅治療の可能性を拡げるものとして高い評価を得ていたこと、
- ハンセン病に関する国際会議等では、戦前から、隔離を限定的に行おうとする考え方が随所に現れていたこと、特に、患者を伝染性患者と非伝染性患者に分け、前者のみを隔離の対象とすべきことは、大正一二年の第三回国際らい会議以降、繰り返し提唱され、昭和二七年のWHO第一回らい専門委員会の報告にもその旨の指摘がなされていたこと、また、国際連盟らい委員会が昭和六年に発行した「ハンセン病予防の原則」や昭和二七年のWHO第一回らい専門委員会の報告では、強制隔離政策が、隔離を回避しようとする患者を潜伏化させる傾向がありハンセン病予防に十分な効果をもたらさないことがある旨の指摘もなされており、新法制定後のものではあるが、昭和二九年にWHOがまとめた「近代癩法規の展望」でも、隔離政策の正当性・有効性が疑問視されていたことなどが認められる。
そうすると、他方で、新法制定当時においては、スルフォン剤治療による再発の頻度がいまだ明らかになっておらず、スルフォン剤の評価が完全に確定的になったとまでいえる状況ではなかったこと、昭和二七年のWHO第一回らい専門委員会の報告を始め、国内外のハンセン病医学の専門家の意見としても、隔離政策を完全に否定するところまではいっていなかったことなどを考慮しても、少なくとも、病型による伝染力の強弱のいかんを問わずほとんどすべてのハンセン病患者を対象としなければならないほどの隔離の必要性は見いだし得ないというべきである。
また、以上に加え、新法制定以降の事情として、 - プロミン治療が我が国で開始されてから一〇年を経過した昭和三一年ころ以降も、国際的には、スルフォン剤のハンセン病治療上の優位は全く揺るがず、治療実績が積み重ねられるにつれ、ますますスルフォン剤の評価が確実なものとなっていったこと、
- これに伴い、国際的には、次第に強制隔離否定の方向性が顕著となり、昭和三一年のローマ会議、昭和三三年の第七回国際らい会議(東京)及び昭和三四年のWHO第二回らい専門委員会などのハンセン病の国際会議においては、ハンセン病に関する特別法の廃止が繰り返し提唱されるまでに至っていたこと、
- 我が国におけるスルフォン剤の評価も、右の国際的評価と基本的には変わらないものであって、現実にも、スルフォン剤の登場以降、我が国において進行性の重症患者が激減していたこと、
- 戦後の混乱期を脱して社会経済状態が回復していったことにより、昭和三〇年以降、新発見患者数に顕著な減少が見られたことなどを総合すると、遅くとも昭和三五年以降においては、もはやハンセン病は、隔離政策を用いなければならないほどの特別の疾患ではなくなっており、病型のいかんを問わず、すべての入所者及びハンセン病患者について、隔離の必要性が失われたものといわざるを得ない。
3) 違法性及び過失の検討
以上からすれば、厚生省としては、すべての入所者及びハンセン病患者について隔離の必要性が失われた昭和三五年の時点において、新法の改廃に向けた諸手続を進めることを含む隔離政策の抜本的な変換をする必要があったというべきである。そして、厚生省としては、少なくとも、すべての入所者に対し、自由に退所できることを明らかにする相当な措置を採るべきであった。
のみならず、ハンセン病の治療が受けられる療養所以外の医療機関が極めて限られており、特に、入院治療が可能であったのは、京都大学だけという医療体制の下で、入院治療を必要とする患者は、事実上、療養所に入所せざるを得ず、また、療養所にとどまらざるを得ない状況に置かれていたのであるが、これは、抗ハンセン病薬が保険診療で正規に使用できる医薬品に含まれていなかったことなどの制度的欠陥によるところが大きかったのであるから、厚生省としては、このような療養所外でのハンセン病医療を妨げる制度的欠陥を取り除くための相当な措置を採るべきであった。
さらに、従前のハンセン病政策が、新法の存在ともあいまって、ハンセン病患者及び元患者に対する差別・偏見の作出・助長に大きな役割を果たしていたところ、このような先行的な事実関係の下で、社会に存在する差別・偏見がハンセン病患者及び元患者に多大な苦痛を与え続け、入所者の社会復帰を妨げる大きな要因にもなっていること、また、その差別・偏見は、伝染のおそれがある患者を隔離するという政策を標榜し続ける以上、根本的には解消されないものであることにかんがみれば、 厚生省としては、入所者を自由に退所させても公衆衛生上問題とならないことを社会一般に認識可能な形で明らかにするなど、社会内の差別・偏見を除去するための相当な措置を採るべきであったというべきである。
この点、厚生省は、新法廃止まで、新法の改廃に向けた諸手続を進めることを含む隔離政策の抜本的な変換を行ったものとは評価できず、また、前記の相当な措置等を採ったとも評価し得ない。
厚生大臣は、厚生省が右のような隔離政策の抜本的な変換やそのために必要となる相当な措置を採ることなく、入所者の入所状態を漫然と放置し、新法六条、一五条の下で隔離を継続させたこと、また、ハンセン病が恐ろしい伝染病でありハンセン病患者は隔離されるべき危険な存在であるとの社会認識を放置したことにつき、法的責任を負うものというべきであり、厚生大臣の公権力の行使たる職務行為に国家賠償法上の違法性があると認めるのが相当である。また、厚生大臣に過失があることも優に認めることができる。
二 国会議員の立法行為の国家賠償法上の違法及び故意・過失の有無について(争点二)
1) 新法の違憲性
新法は、六条、一五条及び二八条が一体となって、伝染させるおそれがある患者の隔離を規定しているが、これらの規定(以下「新法の隔離規定」という。) によってもたらされる人権の制限は、憲法二二条一項が保障する居住・移転の自由という枠内で的確に把握し得るものではない。ハンセン病患者の隔離は、通常極めて長期間にわたるが、たとえ数年程度に終わる場合であっても、当該患者の人生に決定的に重大な影響を与え、人として当然に持っているはずの人生のありとあらゆる発展可能性が大きく損なわれるのであり、その人権の制限は、人としての社会生活全般にわたるものである。このような人権制限の実態は、より広く憲法一三条に根拠を有する人格権そのものに対するものととらえるのが相当である。
もっとも、これらの人権も、全く無制限のものではなく、公共の福祉による合理的な制限を受ける。しかしながら、患者の隔離がもたらす影響の重大性にかんがみれば、これを認めるには最大限の慎重さをもって臨むべきであり、伝染予防のために患者の隔離以外に適当な方法がない場合でなければならず、しかも、極めて限られた特殊な疾病にのみ許されるべきものである。
これを本件についてみるに、前記一2で指摘した新法制定当時の事情、特に、ハンセン病が感染し発病に至るおそれが極めて低いものであること及びこのことに対する医学関係者の認識、我が国のハンセン病の蔓延状況、ハンセン病に著効を示すプロミンの登場によって、ハンセン病が十分に治療が可能な病気となり、不治の悲惨な病気であるとの観念はもはや妥当しなくなっていたことなど、当時のハンセン病医学の状況等に照らせば、新法の隔離規定は、新法制定当時から既に、ハンセン病予防上の必要を超えて過度な人権の制限を課すものであり、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していたというべきである。
さらに、前記一2で指摘した新法制定以降の事情、特に、昭和三〇年代前半までには、プロミン等スルフォン剤に対する国内外での評価が確定的なものになり、また、現実にも、スルフォン剤の登場以降、我が国において進行性の重症患者が激減していたこと、昭和三〇年から昭和三五年にかけても新発見患者数の顕著な減少が見られたこと、昭和三一年のローマ会議、昭和三三年の第七回国際らい会議(東京)及び昭和三四年のWHO第二回らい専門委員会などのハンセン病に関する国際会議の動向などからすれば、遅くとも昭和三五年には、新法の隔離規定は、その合理性を支える根拠を全く欠く状況に至っており、その違憲性は明白となっていたというべきである。
2) 立法行為の国家賠償法上の違法性及び故意・過失の有無について
ある法律が違憲であっても、直ちに、これを制定した国会議員の立法行為ないしこれを改廃しなかった国会議員の立法不作為が国家賠償法上違法となるものではない。国会議員の立法行為(立法不作為を含む。)が国家賠償法上違法となるのは、容易に想定し難いような極めて特殊で例外的な場合に限られる。
新法の隔離規定の違憲性は、遅くとも昭和三五年には、明白になっていたのであるが、このことに加え、新法の附帯決議が、近い将来、新法の改正を期するとしており、もともと新法制定当時から新法の隔離規定を見直すべきことが予定されていたこと、昭和三〇年代前半には、スルフォン剤の評価が確実なものとなり、これに伴い、国際的には、次第に強制隔離否定の方向性が顕著となり、昭和三一年のローマ会議以降のハンセン病の国際会議においては、ハンセン病に関する特別法の廃止が繰り返し提唱され、昭和三八年の第八回国際らい会議では、「無差別の強制隔離は時代錯誤であり、廃止されなければならない。」とされるまでに至っていたこと、同年ころの新法改正運動の際には、全患協が、国会議員や厚生省に対し、改正要請書を提出したり新法改正を求める陳情を行うなどの活動を盛んに行ったこと、その際の国会議員の言動、昭和三九年三月に厚生省公衆衛生局結核予防課がまとめた「らいの現状に対する考え方」からしても、新法の隔離規定に合理性がないことが明らかであることなどを考慮し、新法の隔離規定が存続することによる人権被害の重大性とこれに対する司法的救済の必要性にかんがみれば、他にはおよそ想定し難いような極めて特殊で例外的な場合として、遅くとも昭和四〇年以降に新法の隔離規定を改廃しなかった国会議員の立法上の不作為につき、国家賠償法上の違法性を認めるのが相当である。
そして、新法の隔離規定の違憲性を判断する前提として認定した事実関係については、国会議員が調査すれば容易に知ることができたものであり、また、昭和三八年ころには、全患協による新法改正運動が行われ、国会議員や厚生省に対する陳情等の働き掛けも盛んに行われていたことなどからすれば、国会議員には過失が認められるというべきである。
三 損害について(争点三)
1) 原告らが主張する包括一律請求の可否について検討する。
原告らが被った被害の全体を直視すると、その被害は極めて深刻であるというべきであるが、本件は、新法及びこれに依拠する隔離政策による被害に関するこれまで例を見ないような極めて特殊な大規模損害賠償請求訴訟であり、その被害は、短い者でも、昭和四八年以降新法廃止ころまでの二三年間という極めて長期間にわたる上、その内容も、個々に取り上げると、身体、財産、名誉、信用、家族関係等、社会生活全般に及ぶ実に多種多様なものであって、その一つ一つにつき、立証を求めていたのでは、訴訟が大きく遅延することは明らかであり、真の権利救済は到底望めず、また、訴訟運営上も明らかに相当でないこと、もともと、慰謝料には、個別算定方式による場合であっても、各費目の損害を補完・調整して、全体としての損害額の社会的妥当性を確保する機能があることなどからすれば、原告らが主張する被害の中から、一定の共通性の見いだせる範囲のものを包括して慰謝料として賠償の対象とすることは、許されなければならない。
2) 原告らは、本件の共通損害を、社会の中で平穏に生活する権利と表現しているが、その中身として、個々に挙げているところは、極めて多岐にわたっている。
このうち、原告らが社会の中で平穏に生活する権利の中の主要なものとして取り上げる隔離による被害については、時期を特定すれば、一定の共通性を見いだすことが可能であり、各療養所における取扱いの違い等、個々の原告間の被害の程度の差異については、より被害の小さいケースを念頭に置いて控え目に損害額を算定する限り、被告に不利益を及ぼすものではないから、これを共通損害として見るのが相当である。
また、原告らは、社会から差別・偏見を受けたことによる精神的損害を、共通損害である社会の中で平穏に生活する権利の中に含ませている。この点、ハンセン病に対する誤った社会認識(偏見)により、原告らが社会の人々から様々な差別的扱いを受けたことそのものを賠償の対象とすべきものではなく、そのような地位に置かれてきたことによる精神的損害を被害としてとらえるべきであり、これにも、一定の共通性を見いだすことができる。原告らの被害状況は様々であるが、ここでも、原告間の被害状況に差異があることを念頭に置いて、控え目に損害額を算定する限り、これを共通損害としてとらえることが可能である。
そして、この二つの共通損害を別々に金銭評価するのではなく、これらを包括して、社会内で平穏に生活することを妨げられた被害としてとらえるのが相当である。
3) 以上を踏まえ、慰謝料額については、初回入所時期と入所期間に応じて、一千四百万円、一千二百万円、一千万円及び八百万円の四段階とし、弁護士費用については、右各慰謝料額の一割とするのが相当である。
なお、慰謝料額が最高でも一千四百万円にとどまっているのは、原告らが選択した包括一律請求によるところが大きいが、それだけではなく、新法廃止前の処遇改善努力や新法廃止後の処遇の維持・継続を十分に評価した結果でもある。
したがって、本判決が、らい予防法の廃止に関する法律二条、三条によって保障された処遇の在り方を左右するような法的根拠となるものでないことは明らかである。
四 除斥期間について(争点四)
被告は、原告らが本件訴えを提起した時点から二〇年より以前の行為を理由とした国家賠償請求権は、除斥期間を定めた民法七二四条後段により消滅していると主張している。
そこで、右除斥期間の起算点である民法七二四条後段の「不法行為ノ時」について検討するに、本件の違法行為は、厚生大臣が昭和三五年以降平成八年の新法廃止まで隔離の必要性が失われたことに伴う隔離政策の抜本的な変換を怠ったこと及び国会議員が昭和四〇年以降平成八年の新法廃止まで新法の隔離規定を改廃しなかったことという継続的な不作為であり、違法行為が終了したのは平成八年の新法廃止時である上、これによる被害は、新法廃止まで継続的・累積的に発生してきたものであって、違法行為終了時において、人生被害を全体として一体的に評価しなければ、損害額の適正な算定ができない。
このような本件の違法行為と損害の特質からすれば、本件において、除斥期間の起算点となる「不法行為ノ時」は、新法廃止時と解するのが相当であり、除斥期間の規定の適用はないというべきである。